●学園長のひとり言 |
平成14年8
月26日 共存共栄 「ええ!先生やめるんですか」 全員が机を囲んで座ったとたんに切り出した私の提案に、学生達が固まった。そして、シーンとなった雰囲気を壊すように、先頭にたって計画をしていた学生が顔色をかえて抗議するように言った。 上田学園では年に一回は、学生達が行きたい国を調べ、ルートを調べ、予算を組み、ホテルを決めて海外に出かける。4回目の今年も学生達は本場のフラメンコが見たいだとか、ポルトガルでファドが聴きたいとか言いながら、最終ルートを8月3日までに出し、飛行機やホテルの手配をする予定だった。また同じ日に学生達の手で作られた「タイ旅行」のツアーの最終確認をし、飛行機、ホテル、そのほかの手配もするはずであった。それにも待ったをかけたのだ。 昨年行った経験のある学生は、この1年間で自分がどのくらいどう変わったかの確認をとりたい。去年の失敗を挽回したい。初めて参加する学生は、自分たちで1から10まで計画を立てて実行する旅行に、興味と恐れとが混じった不思議な感覚で準備をすすめていたようだ。 上田学園で海外に行くのは、「学生募集広告用イベント」ではない。予想のつかないことは絶対手を出したくない。失敗は怖い。無駄なお金は何も気にしないで遣うが、大局的に物が見られず、計算の損得をしっかり計算できない彼らは、大切な、ここで出したほうがいいと思えるところでケチる。いつも誰かがやってくれる、準備してくれる、自分一人くらい何もしなくてもいいだろうと考えている。そんな彼らに「働かざる者喰うべからず!」の例え通り、自分で何もしなければ何も起こらないことや、生きたお金の遣い方や、自分の身は自分で守るために、いかに周りに気を配らなければいけないかを体験させたいと考え、その体験方法の一つとして海外旅行を選択しているのだ。 嬉しいこと、楽しいこと、感激することが少なくなっている学生達に、今の年齢だから感じる感激や感動、それをたくさん味わって欲しい。それを味わうことで学生達の視野に、また生活に、海外が「当たり前のこと」として認識されることを願ったのだ。そして、親が何でもやってくれることは当たり前と考えている彼らに、こういう理由でこれだけのお金が必要なので、「お願いします」と親に頭を下げ、お金を出してもらうことや、条件をつけて貸して貰うための交渉が、きちんと出来るようになって欲しいと願っているのだ。 現在の上田学園の学生達は、どちらかというと「頭のいい」部類、「よくお勉強をした」部類の子供達だ。彼らの弱いところは、「自分はやっているのに、他の学生が・・・」という言葉をよく吐くことと、他人にあまり気を遣わないし、自分の回りにいる人間に関心をあまり示さないが、親や兄弟にはとても気を遣うことだ。それも「それチョッと気の遣い過ぎよ!」と言いたくなるほど、親の顔色ばかりを眺め、兄弟の動向を気にする傾向にあるのだが、そのことに全くと言っていいほど気がついていないのだ。 勿論、親が何を考えているかを気にするのは当たり前だが、親にしか視線が行かず、他人に全く感心がないのは困る。とくに一緒に行動をしようと考えている学校の仲間に対して感心がないのは、もっと困る。 「先生、僕と彼はちゃんと調べたりして準備してあるんですが、彼らはやっていないんです。来ないから仕方がないんですが。それに初めてだから無理だと思います。初めて行く国のことを調べて、リーダーとして皆を引率するのは無理です。そんなの出来ないですよ」 「また始まった。何もしないで『駄目だ』と決め付ける。『無理』だと決め付ける。これはまずい!」という思いが脳裏をかすめたのは、旅行する国の選定、スケジュール、選定した国の担当者は誰なのか質問した私の答えに返ってきた答えを聞いたときだった。そしてそれ以上に「まずいな」と考え込んだのがタイ旅行の準備状況を聞いたときだった。 上田学園主催のタイ旅行は、名古屋の旅行会社の東京支社になっている授業の一環、「ツアーの企画をたてる」の中でやっているのだが、これは去年の海外旅行の折、私たち日本人が海外というと、アメリカやヨーロッパを中心に考えてしまうこと。日本の10年前のような懐かしい匂いのするアジアの方たちに対して間違った優越感を持たないように、タイ経由のヨーロッパ旅行を提案したのだが、そのとき上田学園タイ語教師、ソーパー先生の大学の、日本語学科の学生達との交流や、高校生達との交流体験を通して、「売春ツアーではなく、本当の素朴で素敵なタイを僕達の手で皆に知らせたい」という学生達の発案で、タイの国立ナレーソワン大学日本語科の学生達に協力をお願いして、決まった「タイツアー」なのだ。 毎回、授業時間以外でも一生懸命調べたりパンフレットのデザインを考えたりしていた。しかし、やっぱり外のお客様に来ていただくということは、上田学園の生徒全員で一生懸命準備しても、したりないはずなのに「一応は準備しましたが、わかりません。何しろ、休んじゃう学生もいるので」という答えの中に、いつものように、どの授業の中でも顔を出す彼らの"姿勢"。自分たちが言い出したという自分たちの立場や、それに伴う責任が全く感じられないパターン。「今この姿勢を叩きなおさなければ、この姿勢が続く」という思いで、あせった。 タイ旅行は上田学園の海外旅行とは違い、上田学園以外の方の参加がある。今回は5名の方が申しこんでくださった。延期した場合、次にその方達が参加できるかわからない。参加してくださる方たちにとって、今回が一番いい時期かもしれない。それだけに、延期を学生達に提案する寸前まで、迷った。しかし、延期を申し出た。 欠席する学生に「打ち合わせができないので、来るように」と、どんなアプローチをしたのか。欠席した学生の担当部分はどうなっていたのか。欠席した場合、担当部分を後からでもどうして提出せず、仕事が遅れているのか。本当に「タイツアー」をしたいのか。することにどれだけ責任がとれるのか。私たちは2日間、旅行担当の先生も交えて話し合った。 「旅行するだけでも、為になるはず」、「旅行の前の準備期間にリサーチしたり、したことだけでも立派な勉強だから、実際の旅行はおまけだから、気楽に行ってもいいんじゃないか」、「ヨーロッパ旅行は延期しても、タイ旅行はお客様に申し訳ないのでスケジュール通りやりたい」、「向こうの大学ともっと話し合い、もっと関係を蜜にした方がいい」、「失敗がゆるされないことにたいし、どうやって責任をとったらいいのか」、「学校に来るって言って来ない。自分の言った言葉に責任がとれないのはどういう意味か」、「自分はちゃんとやったのに、やらない学生のために被害をこうむる」、「こんな中途半端で親からお金は出してもらいたくない」、「最初から、皆の考えが甘い考えなので駄目だと思っていた」、「ただ行きたい」、「延期しよう」、なかなか話し合いがつかなかった。 親を説得して、やっとお金の工面をした学生。親も本人も、この旅行で何か自分を変えることが出来るのではと、大きな期待をかけている学生。皆に「海外旅行する」と言ってしまったから、面子にかけても行きたいと考えている学生。自分があまりにもこの1年何もしなかったので、親には絶対旅行でお金がかかる事など言いたくないと考えている学生。それぞれが、それぞれの背景をもってこの話し合いに参加していた。 「買い物ツアーのような気分の旅行は幾つになっても行ける。でも、自分たちが皆で足りないところを助け合って、皆の気持ちを一つにして行くツアー、これは意義がある。今の世の中、力のないやつはリストラ対照にされ、少し力がなくても、すこし補助をすれば立派に仕事の出来る奴でもやめさせられる。そんな世の中だからこそ、君達は友達全員のことを気にかけて『皆でやろう』と思って、一所懸命やることが一番重要だと思うけど。旧い意見と思うかもしれないけど、その気持ちが皆から抜けているように思うが・・・」等という意見が旅行担当の先生からも出された。 私は今回、土壇場での「旅行延期申し出」をするにあたり、考えた。絶対最後まで話し合わせようと。全員に自分の意見をしっかり言わせようと。正直な意見を言うために少々、心を傷つけるきつい言葉もぶつけようと。 出した結論は、「学校は休まない。休むときは他の学生に迷惑をかけないように、しっかり連絡し、宿題や提出物などは期日に間に合うように努力する。何かの都合で出来ないときは、正直にそれを話し、皆で手分けしてやる。困ったことや困難なことは全員でやる。お互い素直な気持ちで自分の意見をぶつけあい、助け合う。タイ旅行に関しても、皆で団結して延期した分だけいい結果のでる旅行にする。そのために、タイの大学ともっと密な話し合いをすすめ、ツアーの内容もじっくり見直す。その作業は夏休みにも手分けして、する。またタイツアーに申し込んで下さった方に謝罪に行く。夏休み中にも、リサーチの勉強を授業に関係ないテーマで全員でする。体を鍛えるために、サバイバルキャンプをする。各自がアルバイトをする」というものだった。 この二日間の話し合い中、学生同士お互いに厳しい、しかし本音の言葉が飛び交った。そして、私も本気で生徒を叱った。あれから2週間が過ぎようとしている。 今上田学園は思いがけず日本で夏休みを過ごすことになった。しかし話し合い以降、学生達はアルバイト探し、一人暮らしをする為の家探し、サバイバルキャンプの準備、リサーチや謝罪について各自で助け合いながら仕事を分担してアクティブに動き回っている。汗を拭き拭き教室に飛び込んできて、お水を飲んでまた飛び出していく。 忙しそうにしている彼らの顔が生き生きして、一段とサッパリしたいい顔になっている。出てくる言葉も素直な言葉に変化している。「人にお願いするのに、こういう文章は不誠実だよ」という先生のメールを素直に読んで、「気がつかなかったけど、言ってもらってよかった」と話している。そんな彼らを私は誇らしく、嬉しく「こんな素敵な学生達に囲まれて、私もぼやぼやしていられないわ。頑張らなくちゃ!」と自分に言い聞かせている。 上田学園の秋学期は10月からだ。しかし上田学園の暑い夏はもうすぐ終わるのだろう。学生同士、お互いを認め合いながら助け合っている。そんな彼らを見ていると、今回の出来事を通してほんの少しの、でも貴重な「実りの秋」を迎えようとしているような気がして、心が和んでくる。
|