〈第一部 上田学園に入ったきっかけ〉

 

 

  第一話 ヒロポン大地に立つ

僕はここに入る前は、思春期デイケアと呼ばれるところに通っていました。そこは心に傷を持った人や、社会から離れた人たちが、社会復帰をするために通う場所で、僕はそこに三年間通い続けました。しかしそこは年齢制限22歳ということで、今年の誕生日でそこをでることになりました。思春期デイケアをでてからは、することも特になく一日十時間くらいアニメのビデオを見たりして、ごろごろ生活をしていました。といっても思春期デイケアが、なにもしてくれなかったわけではなかったのです。デイケアでは、職業訓練学校に行くことを進められたのですが、なぜか職業訓練学校に行くことをけって、思春期デイケアを卒業しました。

それからしばらくして、ごろごろしていると、親から上田学園のことを紹介されました。そこに行けば麻生さんという声優に会えるなど、いろいろなことを聞かされ、なんとなく興味を持ったのですが、いざ親に行ってみようといわれると、かたくなに拒んで、ついに世間一般で言う夏休みを迎えました。それからは親に強硬手段をとられ、「夏が終るまでに何かしないと、家にあるビデオを持って家を出て行け」など様々なことを言われ、最後には金につられてきてしまいました。しかし上田学園のドアの前に建つと、なかなか中に入れず、どうしようかと思った瞬間、一緒にエレベーターに乗っていた人の手が上田学園のドアに伸び、開けられてしまいました。突然の事態で動けないでいると、みんなの視線がいっせいに僕の方に集まり、逃げることもできず、仕方なく中に入りました。ただ皆は、僕のことを広田哲也ではなく、一緒にいた人の弟と勘違いしていました。

                〈来週に続く〉

 

第二話 めぐりあい上田学園

突然ドアを開けられた僕は、一緒にいた人の弟と勘違いをされたまま中に入った。それからしばらくして、ドアのそばで突っ立っていたら、上田先生が話しかけてきたので、自分の名前を名乗った。そこで始めて上田先生は、見学の電話を入れた広田だと気づいた。だが勘違いをされたことよりも、部屋の中の人の数に驚いた。(何でこんなに人がいるんだろ)と、心の中で思った。その理由は上田学園は今、夏休みに入っていて生徒がいないと聞いていたからだ。だがそこには生徒だけではなく、日本語を習いに来ている外人の方までいた。一緒に入って来た人は、その外人の婚約者だった。外人と婚約者の方が帰った後、部屋の奥の椅子に座らせてもらった僕は、そこで上田学園の生徒の皆さんから自己紹介をされた。だがこのときの僕は、名前を一人も覚えられなかった。おそらく、(今は先生しかいないし、静かなんだろうなー)という想像をしていたせいもあったのだろう。だが、蓋を開けてみれば、生徒が数名いて何かの相談していた。それまで一人で部屋にいることが多く、上田学園に来ることも何ヶ月も迷った僕にとっては、数名しかいなくても、それだけで大変でした。その後は、上田先生に「よく来てくれましたね」と言われ、「帰ろうかどうしようか迷っていたところを、いきなりドアを開けられてしまいました」など、会話をした。先生はその話を聞いて、爆笑をしていました。そのほかにも、突然ドアを開けた人の年齢が実はまだ二十歳くらいと言われ、僕のほうが年上なのに、年下に見られたなど、第一印象はかなり濃かったです。特に僕の上田先生に対する第一印象は、よく笑う人でした。

〈来週に続く〉

 

第三話 ヒロポンVS上田先生

家に帰還した僕は、ものすごく迷いました。「行くべきか、行かざるべきか…、どうすりゃいいんだぁ」と。そんな状態が数日続きました。そんなある日、突然上田先生から電話がありました。「明日、上田学園に来ないか」と。とりあえず「行きます」と答え、時間を決めたところ昼時だったため、「どうせならこっちで食べなさいよ、ごちそうするから」と言われた。

そして今度は食事につられて、上田学園に行くことになった。

上田学園に着いたらさっそく先生に連れられて、食事を取りに行った。何を食べるか先生と話していたら、なぜか寿司になった。そして先生が二つの選択肢を出してきた。回転寿司にするか、普通の寿司屋にするか。そのときの僕は、まだ二回しか面識のない人に、いきなり寿司なんかをご馳走してもらっていいのだろうかと、内心ビビッタ。ひとまず選択は、先生に任せた。結果は普通の寿司屋だった。店に入ると「なんでも注文していいわよ」と、先生は気軽に言ってきた。だが(何でもと言われても…)というのが僕の心の声だった。普段の僕だったら、食事はおたがいがとる共通のものだから、容赦なく食べる。ご馳走するといわれれば、なおのことだ。しかしこの時は、会って二回目。それにこの後、上田学園に入るとは限らない。そんなこともあり、思いっきり遠慮して食べた。というか、あまり食事をうけつけなかった。食事の最中にした話はそんなこともあり、実はあまり記憶にありません。食事が終って、上田学園に戻ると先生からいろいろ質問された。その中には、今まで何をしていたのかということもあった。それに対する僕の答えは、意外と先生の予測外の答えだったらしい。そして先生の言葉の中に、自分自身自覚していた恐ろしい言葉が入っていた。それは「このままだと本当に家を追い出す、と親が言っていた」などだった。だがこれについては、さほどダメージはなかった。しかし「孫が生まれたら、子供なんて忘れ去られる」と言われた時、ドキッとした。といっても、べつに忘れ去られるというところにドキッとしたわけではない。僕がドキッとしたのは、孫という言葉だった。親にとって孫。それは僕にとっては甥や姪。もし甥や姪に「おじさん、なんで毎日おうちにいるの」などと言われた日には、マジで家にいられなくなる。これは恐怖だった。甥や姪が生まれるのは楽しみだが、(その質問だけは避けねば)と、今まで内心思っていたからだ。そしてもうすぐ兄の家に子供ができる。その状況は刻一刻とちかづいている。この話題が出たとき、僕はもう上田先生に敗北していたのかもしれない。それからは迷いがほとんどなくなり、上田学園に入るという状態になった。家に帰った後も上田学園の入学手続きは、異常なまでにスピーディーに進みました。

そして僕は上田学園に入った

      〈 次回 最終回 〉

 

 最終話 ヒロポン〜刻をこえて〜

2002年10月1日、僕は少し憂鬱だった。それは上田学園初登校日だったからだ。自分で決めたこととはいえ、やはり抵抗があった。心の中からは(何でお前こんなことしたんだよ)とか(行ってもまた苦しい思いをするだけだ)という声が聞こえたような気がした。それでもその声を押し殺して、登校準備を進めた。はっきり言って、この時点でかなり精神的に消耗していた。だがここで逃げたら今までと何も変わらない。それはいつもこの時逃げて、でも結局行くことになって、通っているうちに今度は逃げてしまったことを後悔しだすということが多かったからだ。だから自分の心を押さえつけてでも、今は行かなければいけないと思った。それに兄からある言葉を言われた。「入学金、もう無駄にするなよ」と。心無い言葉(?)かもしれないが、(確かに今まで相当無駄にしたな)と僕は心の中で思った。それに22歳ともなると社会的に、逃げ続けるにしても、前に出るにしても、どちらか決めないともう限界だと思っていた。そして僕は、思い切って家の外にでた。ここまでの過程が一番苦しかったかも。だがここまでくれば、後はバスに乗って上田学園に向かうだけだ。それにバスに乗ってしまえば、自分の意思とは関係なく、勝手に上田学園のそばまで運んでくれる。バスの中では、アニメのことを考えて、できるだけ上田学園のことを考えないようにした。まだ何も知らないのに、無駄に考えて不安になるのが怖かったからだ。バスが吉祥寺に着くと、あとは(ここまできたら、前に進むしかない)と思った。そして僕はこの日、初めて生徒として上田学園のドアを開けた。

 

〈第一部 上田学園に入ったきっかけ 完〉

 

 

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