風邪
先々週あたりから風邪を引いてしまった。
それもかなり悪質な風邪だ。
咳はでるわ、吐き気はするわで……。
だが、それにへこたれず、学校に通い続けた……。
と、結構がんばったのだが、みんなからは
「風邪ひいてるのに来るなよ、移ったらどうするんだよ」
とか、散々言われた。
そのためとりあえず、コンビニに行ってマスクを買って授業を受けることにした。
が……安物のマスク……つけてて暑い……気分はかなり最悪だった。
しかもがんばってきているが、意識を保つのが精一杯で、先生の話などまったく頭に入らなかった。
馬鹿だと思った。
さっさと休もうと思った。
が、上田学園の授業はどれも休みづらい。
休むことで、みんなに迷惑がかかる授業が多いからだ。
そのため必死で学校に通った。
でも、今考えてみると、授業を休まれるより、風邪をうつされるほうが迷惑だったのかもしれない。
マヌケな話だ。
しかしなぜか僕は、元気なときにはだるくて休みたいのだが、風邪などを引くと学校に行こうとするのだ。
その理由はよくわからないが、なぜかそういう気になる。
そしてみんなに「帰れ」といわれる。
が、帰れと言われても、することがあるため帰るわにはいかない。
特に、株の宿題については「ストックリーグ」の締め切りが近づいていたので
帰って休んでいる場合ではなかった。
かなり必死でした。
だが、その思いも、締め切り前日に燃え尽きた。
とうとう咳に耐えられず休んだのだ。
はっきり言って、痰とかに血が混ざっていたりしていて、限界に達していた。
しかしそれで休んでいられるほど上田学園の授業はやさしくない。
特に締め切りが目の前に迫っている「ストックリーグ」は。
そのため、昼の3時過ぎくらいまで眠り続け、その後学校に行った。
気分は最悪だった。
そして学校に荷物を置き、とりあえず昼飯を食べに行った……何も食べてなかったから。
飯を食べ終わると、次にコンビニに向かった。
そこでポカリを買い、学校に戻った。
学校につくと、早速ポカリを飲みながら、株の宿題を始めた。
とにかく調べて調べて調べまくった。
先生がヒントでくれた資料などを見ながら、企業のホームページをさまよい続けた。
読んでいて、わけわかんないけど、見まくった。
そうしているうちに吐き気が襲ってきた。
が、出たければ出ろ言わんばかりにトイレで出しまくった。
確か宿題をはじめたのが午後4時ごろで、終わりにしたのが午前1時くらいだから、
その間15回くらいはいたかな。
が、はいたからといってやめるわけにもいかず、ただひたすらに集中力がきれるまで
ポカリを飲みながら、資料をまとめ続けた。
正直つらかった。
さっさとやめたかった。
しかしみんなへの迷惑を考えると、やめるわけにはいかなかった。
そのため、ただひたすらにホームページ上で面白い情報があれば、メモをし、資料をまとめていった。
このとき半分目が回っていた。
そして、1時ごろに限界がきた。
集中力云々より、頭の中で文章を構成できなくなっていったのだ。
限界を感じた。
そのためそれ以上の作業はやめることにした。
そのかわり、朝7時に起きてやろうと決意した。
おきれる自身はあまりなかったが、頭の回らない状態でやるよりは効率もいいし
そのほうがベストと考えたからだ。
そうして朝7時に目覚ましをかけた。
だが、意志の力とは恐ろしいもので、なんと6時に目が覚めた。
「この時間に起きる〜」
という強烈な意思がそうさせたのだろう。
自分でも驚いた。
そうして朝7時に登校すると
徹夜明けのオッちゃんと荻原さんがいた。
なんとなく
「ようやるな〜」と思った。
その後パソコンをひらくと、オッちゃんが
「8時になったら起こしてくれ」
と、一言言い残し眠ってしまった。
ついでに言うと、荻原さんは上田学園の荷物置きの中で倒れていた。
で、話を戻すが、そうして眠ってるオッちゃんたちをほうっておいて、作業を再開した。
だいぶ疲れが取れていたため、結構はかどった。
無理して徹夜するより、やっぱ寝たほうがはかどるんですね。
そのおかげでどんどん資料が完成していった。
時折、資料の中に、自分でも意味不明な単語がちらほら出てきたが……
とりあえずそれは無視という感じで、とにかくまとめた。
すると、オッちゃんに起こしてくれといわれた8時になっていた。
オッちゃんたちはどうやら、8時から、リサーチの授業でしている
フリーペーパーの店への取材があったらしい。
で、とりあえず起こして、オッちゃんたちを見送り、作業を再開した。
それからどれくらいやったのか忘れたが、その後、藤田と上田先生がやってきた。
それからは藤田とちょくちょく話をしながら作業をした。
そのとき
「無遅刻無欠席だったら、給料に1万円プラスされる」という話をした。
この話にはかなり驚かされたが、自分自身、締め切り間際だったためシャレにならなかった。
その後も作業は続いた……。
そして9時30分を過ぎたころ、先生に
「みんなはどうしたの」と聞かれた。
とりあえずオッちゃんと荻原さんは、取材に行ったのを知っていたためその場で報告したが
ナルチェリンについては、朝7時に出てきたためわからなかった。
そのため先生に、見てくるように言われた……実はそれどころではなかったのだが。
そして家に見に行ったら……言っていいのかわからんが、とりあえず言わせてもらうと
ナルチェリンは本を読んでいた……その瞬間「なんて報告しよう」と考えてしまった。
しかし考えても仕方がないため、とりあえずナルチェリンに
時間だということを告げて、学校に戻った。
このときは結構大変だったな〜……学校に戻ったとたん先生に
「成瀬は何をやっていた」とか聞かれて、素直に答えればいいのに
同居人の情というやつが発動してしまい、真実を言うべきかどうか悩んでしまって。
まさに
「義理と人情の板ばさみ」ならぬ
「義務と人情の板ばさみ」だった。
そのため返事をうやむやに、大まかに答えたら、先生に
「あんたそれ、子供のお使いよ」と怒られた。
気分的には、「ハァ」という感じだった……何で俺が怒られてるのという感じで……。
それから再び作業に取り掛かったら
今度は取材から帰ってきたオッちゃんたちが怒られていた。
「それは今すぐ必要なことなのか」
「優先順位を考えろ」
とか……いろいろ。
そしてみんなが怒られているなか、僕は一人資料をまとめ終えた。
みんなには悪いが、このときの僕は個人的にとてもハッピーだった。
そして授業開始
午前中の授業は、本当は日本語の教材作りの時間なのだが
この日だけは、株のまとめの授業になっていた。
それぞれが、株の資料を持ち出した。
結構ドキドキしてました。
が、予想を反し、僕の資料は結構評価がよかった。
上田先生いわく
「パーフェクト」といわれた。
そう、誰にも指摘されることなく、一瞬で終わったのだ。
だがあまりに一瞬で終わってしまったため、僕はかなり不安になった。
心の中で
「みんなちゃんと見てくれたの?」と思い、不安が増幅していった。
僕としては
「パーフェクト」と言われるより、指摘されて、不安要素を消したかった。
だが、みんなはそれを言ってくれなかった。
不安要素が一つもなかったのかもしれないが、消せないほうがはるかに不安だったのだ。
そして一人「う〜ん」と思っていたら、株の先生がやってきた。
が、実はこのとき、体力的にはもう限界に達していた。そのため最後の集中力を振り絞ることにした……
正直帰って寝たかったけど。
株の授業は、みんなが持ち寄った資料のチェックなのだが、株の先生は二人いるため分担をした。
このときのアドバイスは
「難しすぎるから、もう少し簡単に」だった。
などと書いても、何についてそう言われたのかわからないでしょうが、とりあえず僕の書いた資料は、
書いた本人でもあまり理解できていないぐらい難しいことを書いていたのだ……
化学記号が多かったし。
そのためほとんどの部分をカットする形となった……ちょっと悲しい。
まぁ、そんな感じで授業は進み、修正ポイントを直していったのだが
僕の状態は「脳みそぶっ壊れそう」だった。
だが、先生がいる間は、何が何でもおきていようと思った。
かなりの根性戦だった。
先生が帰るのが先か、自分が倒れるのが先か……そういう状態だったのだ。
そして僕は勝った(何に?)、先生が帰るまで耐えた……
先生が言っていることは、ほとんど理解できなくなっていたが、それでも勝った(?)……
まぁ、先生が帰ったあと、すぐに意識が堕ちましたが。
限界に達ていたのでしょう。
その後は、先生にはたき起こされ
「もう帰りなさい」といわれた。
だが、帰るどころではなかった。次の日のリサーチの宿題が待っているからだ。
しかしこの宿題は各店を調査するというものなので、外回りをする必要があった。
だが僕の体はもうほとんど動かなくなっていた。
意識的にはやろうとするのだが体が動かないのだ。
そのためナルチェリンに、頼むことにした。
「この店と、この店を見てきてくれ」と。
そしてこの日はうちに帰って、夕飯も食べずに寝た。
運命の土曜日
ナルチェリンに宿題をたくした次の日。
この日は夜から忘年会が控えていて、なんというか忘年会に参加したかったので
午前中の授業は、体力温存のため休んだ……午前の授業は美術館見学でしんどかったし。
そして午後の授業から参加した。
しかし前日にしようとしていた宿題を、ナルチェリンと藤田にまかせてしまったので
僕の出番はほとんどなかった……ちょっと寂しい。
でもナルチェリンたちがしっかり調べてきてくれたので心強かったです……
咳もあまり出なかったし。
授業が終わったあとには、待ちに待った忘年会……ではなく、忘年会の準備が始まった。
とりあえずみんなが何をしていたのかよくわからないが、僕は炭と着火剤を買いに行くことになった。
近場のデパートに買いに行ったのだが、さすがに時期が時期で
炭は売っていたが着火剤が売っていなかった。
とはいえ、炭だけで12キロほどありました……運んだ感想は「重い」というより
「持ちづらい」でした。
そして学校に炭を持ち帰ったら、次は火をたくように言われました。
て、風邪引いてたんですけどね……なぜか外作業……
まぁ、寒かったけど、火を起こすのは好きなのでよかったです。
これは多分、子供のころから、親にやたらとキャンプなどに参加させれていたからだと思う。
そう、なぜかはわからないが、うちの親は、区などが行うキャンプにしょっちゅう僕を参加させていた。
そのおかげで火の起こし方は結構理解していた……
家でもストーブの前で、マッチを組んで火を起こして遊んでいたし……危ないガキだ。
でも、マッチからマッチに添加していくのはとても面白かった。
(良いこのみんなは真似しないようにね……悪い子も)
そのおかげで、炭には簡単に火がついた。
ある種、親に感謝。
その後はずっと火の番をしていたのだが、突然うちの親を呼ぶという話が出てきた。
僕は嫌がったのだが
「ヒロポンが呼ばないなら私が呼ぶよ」
とか、妙に脅迫めいたことを言われ、結局自分で呼ぶことにした。
そのときの会話は
「俺的には来てほしくないんだけど、みんながどうぞって言ってる」
「なら喜んでいくわ」
……う〜〜〜っと思った。
そりゃぁ、僕は親をそれなりに尊敬している。
多分乗り越えられない存在だろうと思う……ある意味すごすぎて。
だからちょっと苦手だったりする……特に人前で一緒にいるときには。
何より僕が何かしら努力しているところを、親や家族に見られたくない。
はずかしすぎる。
そのため僕は、学校などにあまり家族を呼びたくない。
まぁ、兄貴たちも母親も、もうすでに来てしまっているので
いまさら遅いのですが、せめて親父だけは。
だから親父、来なくていいからね……別に来るのがいやというわけではないけど……
勉強してるところ見られたくないから。
だから家族は全員来るな。
と、かなり私的見解に入ってしまったので話を戻すが
要するに母親に見られたくなかったのだ……まじめに何かをしている姿を。
が、来てしまった。
そのためパーティーが始まるまで、外で火の番をし、母親との接触を最小限にした……
それに火を見ていると落ち着くしね。
それからしばらくして、パーティーは始まった。
あいさつは、幹事のナルチェリンがした……ちょっとぎこちなかったけど。
その後はみんな酒を飲んだりジュースを飲んだりして騒いでいたのだが
僕は端っこのほうの席に座って、ボーっとしてた……ゴチャゴチャしているのは苦手なので。
それからは丸テーブルにすわり、麻生先生と話をしたり
お客様に上田学園について説明したりしていた……あとは時々母親に気を使ったりもした。
その後は、ほぼずっと外にいた。
消えかけている炭に火をおこしなおしたりして。
このとき炭の特性について少し知ることができた……木材にしか火をつけたことがなかったので。
特に木材と違いジワジワと火がついていくのは、見ていて楽しい。
そんなわけでずっと外にいたのだが、外にいる人たちはほとんどが喫煙者。
まぁ、タバコを吸う人が寒くないよう用意されたのが、この炭火なのだから当然なのだが
結構煙たく、風邪引きにはつらかった。
が、なぜかそこにいつづけた……
楽しみにしていた食事もほとんど食べずに。
なんで?
まぁ、よくわからないが、きっと外にいた面子が面白かったからだろう。
外にいる人たちは、異色な人が多かったから……火を見てると落ち着くしね。
そうして忘年会は終わっていった。
……僕にとって、生徒として出席する最後の忘年会が……まぁ、あくまで予定だが。
そして次は招待されるほうだ……なんか切ないなぁ〜。
まぁ、準備しないでいいから楽といえば楽だけど。
というわけで、来年の忘年会、ちゃんと誘ってくれよ……会費きちんと払うから。
P・S
このあと、僕たちは2次会に行きました。
場所はカラオケで、12人ほど行った。
部屋は20人部屋で、前のほうに生徒、後ろのほうに先生方がすわった。
このとき僕は後ろのほうに座ったため、先生たちの会話が全て聞こえた。
「アニソン以外も歌って」
「アニソンだと英語がすらすら言える」
とか……あとはうしろで職員会議が開かれたりとか……すごい環境で歌っていた。
しかし不思議なことに、歌っている間ほとんど咳が出なかった。
おそらく集中力が最大限出ていたからなのだろう……人間の神秘に触れた感じだった。
まぁ、それでもある一定のキーに達すると、まったく声が出なかったりしましたが……
それでもそこそこ歌えました。
それに僕が歌ったアニソンに、マスコミの先生が気づいてくれたのがうれしかった。
その後は、うしろから
「アニソン以外にも歌って」という声がたくさんであったので、仕方なく演歌を歌うことにした。
そう、僕はアニソン以外は、演歌しか知らないのだ。
それもかなり古い演歌だ。
なぜそうなったかというと、まぁ、ガキのころの僕の子守唄は、基本的にアニソンで、それ以外の歌は
親が良く聴く演歌だった。
そのため僕はアニソンと演歌以外の歌はほとんど知らない。
だからアニソン意外とリクエストがきたら、演歌を歌うしかないのだ。
レパートリーは
「贈る言葉」
「影法師」
「華のように」などだ。
ちょっと渋めだと思う。
そうして朝の5時まで続いた2004年 忘年会の2次会だったが
ラストソングは僕が歌う「華のように」だった。
このときばかりはさすがにみんなに悪いなと思ったけど、どうどうと歌わせてもらった。
「……桜、花びら、散る前に、咲いているうちに」と。
多分みんな相当不満だったと思う。
だが、僕はカラオケで始めてこの歌が歌えたので、結構満足していた。
そして解散後、大家さんたちと一緒に学校に戻ったのだが、そのとき一気に咳が再発した……
恐るべき人間の集中力といったところです。
その後、風邪がどうなったかというと、まったく治っていません。
結構しんどいです。
あのときの集中力はどこにいったのって感じです。
いまでは
「のどぬーるスプレー」が必衰アイテムになっていますからね。
でも学校にも一応行っているので(冬休み中)問題ないでしょう……
いや、休みに学校に行っている時点で、自分的には問題なのだが、これについては、まぁいいか。
行けるところまで行きましょう……本音はその逆かもしれませんが……。
風邪 END