サバイバル
十月十一日、上田学園ではサバイバルがありました。最初にこのことを聞かされたとき「マジ」と思いました。その理由は、僕は右手の骨にひびを入れており、さらに前日にサルサの夜があったからです。もっとつっこむと、僕は数ヶ月間、一日の平均移動距離が二百メートルもなかったからです。こんなに退化した足で、何時間も歩けるのかという思いが、まずでてきました。
さらに皆が、行き先はメチャクチャ寒いといっていて、右手の骨の心配もでてきました。心配してくれた皆は、メールでサバイバルの講師の先生に尋ねてくれて、「大丈夫」と返事がありました。ただ、僕の手を見ていた接骨医院の先生は、「ちょっと危険かも」と言っていました。そんな不安を抱えながら、僕は皆と一緒にサバイバルのとき着る服や、寝袋を買いに行きました。ただお金がなかったため、親に言ったら喜んで出してくれました。普段頼んでも一円も出してくれなかったのに…。
そして十月十日、サルサの夜が終わり「明日はサバイバルかー…」と覚悟を決めました。医者のほうも「無理をしなければ大丈夫」と言ってくれて、サバイバルの参加の許可を出してくれました。
十月十一日 サバイバル当日
サバイバル当日は、普段と変わらず授業をし、その夜、車で目的地に向かいました。目的地は長野県の秋山郷というところでした。とりあえず僕たちは何人かずつに別れ、車に乗り、目的地までいきました。車の中では、アニメやゲームの話で盛り上がったのだが、成瀬くんが一人ついてこれないという状況でした。このときのことを成瀬くんは「エヴァの話題ならついていけたのに、一瞬で終ってしまった」と、いうようなことを言っていました。おそらく彼にとっては、拷問のような状況だったのではないかと思います。
その後目的地に着き、空を見上げたら、プラネタリウムでも見れないくらいの、とんでもなくきれいな星空が見えました。そしてサバイバルに同行してくださった先生方は、おでんなどを温め宴会のようなものの準備を始めました。あまり食べなかったが、とてもおいしかったです。
十月十二日 翌日
宴会が終わり、車の中で目を覚ましたら、早速サバイバルの準備が始まりました。まずは寒いので買ってきた服を着て、必要な物資をザックにつめ、山登りを始めました。山登りは想像していたとうり、数十分もしないうちに足に疲れがでだし、(もうだめだ)と思いだしました。そんなときアカバンが足の痛みを訴え始めました。どうやらアカバンはサバイバルに来る前に、足を怪我していたようなのです。そのため怪我をしたアカバンにあわせるように歩き出したため、ゆっくりペースになり、アカバンには悪いのですが(ラッキー)と思ってしまいました。
そしてゆっくりペースなので、皆で先生に食べられるきのこを教えてもらい、生えてるキノコをかたっぱしから採り始めました。採るたびに先生に食べられるか聞き、その結果は、採ったキノコはほとんどが毒キノコでした。特に立川君は、採ってきたあらゆるキノコが毒キノコでした。
だがそれでも疲れは襲ってきて、しまいには意識が現実逃避を始めました。どこからか〈朝〇の巫女〉の歌が聞こえてきたり、アニメの錯覚が見えたり…。そして僕は極限状態でアニメソングを歌い始めました。普通、歌っていたら余計に疲れると思うが、僕の場合、歌っているとなぜか疲れをあまり感じなくなりました。
そしてたどり着いた目的地。最初に僕らの寝る小屋を見たのですが、屋根に大穴があいているは、汚いはで、(ここで雨が降ったらおしまいだな)と思いました。小屋を見たあと先生たちにまきを拾ってくるように言われました。落ちているマキを見ると、どれも湿っていてどれが使えるのかわからなかったので、とりあえず一通りもっていきました。大きいマキなどは折り、数分後には先生たちがあっという間に火を起こしてくれました。皆で木の上に座り火を囲み、疲れを癒していると、先生方が料理を始めました。その中には、登山の途中で採った珍しいキノコが入っており、家にいたら食べることなどできなかったとおもいます。味のほうも、とても珍しかったです。
ただトイレに行きたくなり、「そんなものはない」と言われたときは(この年で立ちションかよ)と、ちょっとショックをうけました。まぁ、久しぶりに子供の頃の気分に帰ったとでも思いたいですね。
そして夜、先生たちから「俺たちは趣味のために働いているんだ」と言うようなことを聞き、凄い人たちだなと思いました。
十月十三日 最終日
十月十三日、とうとう帰る日がやってきた。先生たちは最後に僕たちに、いろいろな紐の扱いかたを教えてくれました。最初見本を見せてもらったとき、(いったいどうやったんだ)と思いました。そんな僕たちのために、先生たちはゆっくりと丁寧に教えてくれました。それでもなんとなく複雑に見えて、よくわからない結びかたがありました。それにたとえ結べるようになっても僕のようなスピードで結んでいたのでは、遭難したらいっかんの終わりだと思いました。
そしてとうとう下山のときがきました。山を降りる前に先生たちに、足のつめが伸びてないか聞かれました。案の定、僕の足のつめはかなり伸びていました。どうやら下山の際に足のつめが伸びていると、つめがはげてしまうことがあるらしいのです。そこで小さい爪切りみたいなものをかり、きったのですが、途中で面倒くさくなり(もう、はげたらはげたときだ)と、覚悟を決めました。下山は怪我をしているアカバンと同じペースで歩き、アニメソングをやはり歌っていました。だが、ゆっくり歩いていたため油断をし、とうとう転びそうになりました。この時、医者の「転んだときなど右手を使ってはダメだよ」と言う言葉を思い出しましたが、ときすでに遅く、見事に右手をつきました。異常な激痛が右手に走りました。それでもとりあえず、我慢して下山しました。
下山が終わり、車に乗り込んだ僕たちは、そのままラーメン屋にむかい、食事が終ると次は温泉に向かいました。温泉のほうは、僕は眠くて入らずに外で待っていました。この時本当に疲れていました。そして帰りは見事に渋滞に巻き込まれました。そのため家に近いもの同士に車を乗り換えて再発信しました。とりあえず家に連絡を取り「遅くなる」と一言言って切ったら、皆に「淡白だなー」と言われました。
それから数時間後、上田学園の近くに僕と、成瀬君と、知花君と、立川君がつきました。そのとき、突然立川君の携帯が鳴り出しました。どこからと思ったら、僕の親からでした。どうやら「遅くなる」というのは、皆で吉祥寺で何かして遅くなると思っていたようで、連絡を取ったとき、まだ東京についていないとは思わなかったらしいです。親からの連絡をきると、皆と別れ「もう疲れた」と、タクシーで帰りました。
このサバイバルは、本当に疲れました
(余談)
帰ったあと、包帯を取ったら手が倍くらいにはれていました
完