上田学園ホーム

上田早苗×陰山英男 

対談「小学校の現場から」

 

4.

 

陰山 僕もそこのところで今すごく詰まってきていると思うんです。僕らなんか学校でやれそうなものってのはやれるだけやってきたつもりなんですよ。しかし現実にうちの学校でも、最近登校拒否ぎみの子が出てきた。私達もいろいろ悩んでいます。
 今僕自身でやっているのは、特別な用がなくても気になる子の家に電話して、「気にかけているからね」というメッセージを送る。家にいても先生の声を聞けるようにすることで、学校と家庭との間の境界を薄めていこう、と考えています。そして、それは子供達の心にもそれなりに響いているようなんです。しかし、これとて家庭の方でそれなりのフォローがあればこそ効果を上げているわけです。しかし、今後はその程度では対応できなくなってくるかと思うのです。

 

上田 それはよくわかります。たとえば、学校の先生になっている友達がいて、話をきくとクラスにそういう不登校の子が何人もいる。そうするとその子供のケアだけでクラスのことを何にもできなくなっちゃうっていうんです。保健室登校の問題もありますし。
だからもうガタがきている日本のシステムを変えなきゃいけないんだけど、どこから手をつけていいか、わからないでいる状況だと思うんです。学校側だけじゃなく、もちろん親も参加しなければいけない。でもそういう意識のない親もたくさんいます。

 

陰山 そうですね。今、そこのところに手をかけなきゃいけない時期に来ているんだと思います。自由な校風が特色のある私立学校の先生と話す機会があったんですけれど、その学校は子供達に強制しないらしいんです。実際そうやって立直っていく事例があったので、不登校の子がどっと集まってきているらしいんですね。クラスに3割くらい不登校傾向の子がいる。そうするともうその子供達のケアで手一杯なんだそうです。もっと積極的なかたちの教育をやろうと思っても、結局ケアで終わってしまう。これは対策的な教育をしていても対応できない段階に来ていることを意味していると思います。
そもそもゆとり教育というものがなぜ出てきたかというと、これは突き詰めれば不登校対策だったと思うんです。公教育にとって学校に来ないというのは、実は一番やっかいな問題でね。来てくれれば何とかしようもあるけれど、来なかったら打つ手がない。来てもらうためには、もうハードルを下げるしかないわけです。僕はゆとり教育とはある面そういう取り組みだと思います。ところが、ハードルを下げたら子供達は跳びやすくなったのではなく、ハードルに合わせて足の力を弱くしてしまった。結果、ゆとり教育のマイナス面ばかりが目に付くようになってしまったんではないでしょうか。

 

上田 不登校の子に何が何でも学校に行きなさいという強制のメッセージは有効だと思えませんが、逆に親が率先して学校を否定するような姿勢でもいけないと思っています。小学5年生から中学3年生まで不登校を続けている子の親御さんは、学校など行かなくてもいいと言っています。じゃあ、どうやってお子さんは食べて行くんですか、と聞いたら、コンピュータをやるからいいんです、と言うんです。コンピュータといってもプログラミングなどのレベルでなく、単にインターネットができる程度ではどうにもなりませんよ、と言いましたが。また驚くことに、未だにお母さんは子供がどこに行くにもくっついていく。

 

陰山 母子密着が強すぎてなかなか自立できないでいる子の話を聞くことはあります。けれどやっぱり理解できない、本当に原因がわからない不登校のケースもあります。そういうふうに考えていくと、僕らが普通に当たり前にやっているものが、ある子にとってはごっそり抜けていて、その部分を僕らは十分理解できていないから、慌てちゃっているんだと思うんです。そこのところに合わせて教育もやっていかなければいけない。
ただ現実問題、不登校や引きこもりなど当面そういう子が出てくることは想定してかからなきゃいけないわけです。だから社会にセーフティネットを張って、フリースクールやフリースペースといったところに頼らざるをえない。そういうつなぎ役が社会的にもっと必要だと思います。

 

上田 確かに徐々にフリースクールは認知されてきています。NPO法人の申請をして助成金を得るところもあります。しかし、いろんな意味で地域社会との連携があって、世界を広げていかないと限界が見えてくるのも早いと思うんです。だからうちでは風通しを良くしようと、学園で教える以外に職業を持っていらっしゃる方に先生をお願いしています。そういう学校から周りの地域への広がり、という面では先生のところはどうでしょうか。

 

陰山 うちは約8割の子が農家の子なんですけれど、そのうち稲刈りを手伝ったという子はほんのわずかしかいないんです。つまり、学習ってものが、頭と目と耳だけになってしまっている。身体でやっていない。体験が足りないってことはゆとり教育でも言ってますけれど、それは確かにそうなんですよね。皮膚で勉強していない、というか。暑ければクーラー、寒ければヒーター、それで身体が身体として機能していない。それは都会の子も田舎の子もいっしょなんです。「何でこんな寒い日に学校行かなきゃならんのだ」とか、その中でみんな学校へ行く意味だとかを考えるわけですけど、今はちょっとしたことで親が車で送るんですよ。雨の日になると高校なんか前にずらーっと車の列ができるといいますから。それはむしろ都会よりひどいかもしれません。
とにかく少しでも子供がつまずかないようにしてしまう。だから、上田先生がおっしゃるように、自分で決断して、自分で選ぶということがない。だから傷つくことがない。

 

上田 だから転んでも立ち上がって、自分の傷にこうやって唾をつけるとか、もっとひどかったら近くの家でおばさんちょっと洗わせてくださいとか、そういう考えが思い付かないんですよね。

 

陰山  それで僕はもう傷つきなさいって言います。本当に今度の僕の学級は傷つきやすいガラス細工ばっかりでね。だから僕は時にはこっそりいじめてあげるんですよ。何か困っているとき、「ぼちぼち泣く時間じゃないの。泣くんか」と言ってね。そうすると、こらえて、「うーん」という顔してますけれど(笑)。

 

上田 そこで先生は泣かしちゃいけないとか思ってはいけないんですね。すると結局、先生も生徒もある程度距離を置いた方がいい訳ですね。

 

陰山 そうです。同化しちゃうからいけないんですよ。この前ハロウィーンの国際交流パーティに行った小学5年生の女の子がね、福笑いのゲームをやるのに慌てて行ったもんだから使うセロハンテープを忘れてきちゃった。そしたら会場で、うわーって言ってパニック起こして泣き出したんです。それを見て、僕はすっと行って、「君は幼稚園の子?」と言ってやったんですよ。そうしたら泣きやみましたね。だから、やっぱりはっきり言ってやる必要があるんですね。泣いたら慰めてもらうことが癖になっていては駄目なんです。

 

上田 そうですね。

 

陰山 結局教育の最終目標って自立じゃないですか。そのためには苦しい場面もあるんだ、そのへんにユートピアはないんだということを最初に知っておけばどうってことはないんですよ。不思議なのは、どんな大人だって傷つかないで成長してきた試しはないのに、子供のこととなると途端に失敗しないように、傷つかないようにと面倒をみてしまう。

 

上田 子育ても教育もそうですが、本当にあらゆることが、一に戻らないと駄目ですね。足元から改革していかないと、ということですね。

 

陰山 単純に夕方7時に父ちゃんが帰ってきて、みんなでいっしょに食事をする。それを例えば全国でバロメーターとして調べればいいと思う。会社が協力するのか、しないのかって。もちろんそれで経済活動ができるのか、というお叱りを受けるかも知れませんが。毎日でなくても、こういったことを真剣に取り組んで欲しいと思うのです。そうしなければ、子供の存在を許さない社会になるわけだから。今後も少子化は続き、日本の国力も弱まるでしょう。まず子育ての喜びを思い出さなきゃならない。何年か前に父の日に、当時の文部省が財界に対して、「お父さんを家庭に返して下さい」とやったんですね。僕はこれにはなかなかやるじゃないと思った。だから僕はね、決して文部科学省批判をするつもりないんですよ。批判しても意味はない。それよりもまず自分が提案すること。わが子を良くしましょう、まず自分たちの地域を良くしましょう、っていうそこからしか始まらないだろうな、と思います。そこのところだと思います。

 

上田 もう一度一から出直しですね。

 

陰山 少子化の1.5人というのは破壊的でしょ。だから僕は教育問題とは何ぞやと言ったらまず出生率なんです。学校から子供がいなくなる、このことの背景にある意味を噛みしめていかなきゃいけないと思います。

 

上田 そうですね。それと各親、各先生がいいものはいいと頑固親父、頑固先生を通して欲しいと思います。うちの学園でも基礎学力定着の時間割を取り入れていますが、これからも陰山先生にご指導いただきたく思います。

 

 

上田学園ホームページへ>>