慣れ親しみやすさよりも当たり前のことを

パリ・ロンドンから帰国して、1週間以上たってしまった。 やっぱりロンドン、パリの街並みは東京より綺麗だったというお決まりの文句が出てくる。では逆に、東京の方がパリ、ロンドンより良かった点はあっただろうか。良かったところなんてあっただろうか考えてみたらあった。食事だ。ロンドンの食事はまずい。パリの食事はおいしかった。
だが、私達がパリに滞在した期間はほんの数日。数日だから、飽きずにおいしいと思って食べていたが、これが半年、一年だったらどうだろうか。フランス料理だけを半年、一年食べ続けていたら恐らく飽きていたと思う。幼い頃から、フランス料理を食べ続けていたら、そうは成らないと思う。でも、自分は、今までほとんど食べたことがない。そのため幼い頃から慣れ親しんだ日本食の方が結局はいいだろう。
話は変わるが、帰国してから妙に私も含め学生達が緩んでいる気がする。もちろん自分の思い込みである可能性もある。でもそういう気がしてしてならない。学校から1分足らずの場所に住んでいるのにごく当たり前のように遅刻してくる。ごく当たり前のように授業を休んだりもしている。今週は忙しい、忙しいと言っているが、実際はだらだら喋りながら宿題をやっていたりする。
しかしこういうことは前から少なからずあった。でも現在それが何故か異様に目立ってしまう。数ヶ月前まで遅刻、休みがなかったというといまいち思い出せない。確かに上田学園は大変だ。宿題をやるにしても、授業を受けるにしても基本は自分で考えて自分で判断することだと思う。
だが、しようとしない。そんなことは。今までしてこなかったし、やってこなかったから。いつも昔から誰かの指示どおり動いて、誰かの後ろにくっ付いていたため、いざ自分で考えて自分で判断しようと思ってもやらない。つい幼い頃から慣れ親しんだ方に流れてしまう。そして、みんながだらだらしていたら、自分もだらだらになって最後には緩々になって何もしなくなる。やるべき事が終わらなかった。それでも平気だった。
そういえばそうだった。私は以前から宿題に時間が掛かり過ぎると書いてきた。私は、昔から何事も自分から進んでさっさと終わらせるわけではなく、誰かと一緒に話しながらやるため、何事もすごく遅かった。どんなにやるべき事が遅れていてもいつも変わらなかった。それでやるべき事が終わらなくても平気でいた。要するに未提出な訳だ。つまり、宿題に時間が掛かる事は今に始まった訳ではないのに今に始まったかのようにずっと思っていたのだ。なんと愚かな。
さて、そのことにようやく気付いたが、一体どうやって今まで自分が慣れ親しんできたスタイルを変えるのか考えたいが、それより目の前に見える当たり前のことを続けていくことが重要な気がする。例えば、遅刻しない、挨拶をする、さっさとやるべき事をやる、後は・・・すぐに高圧的態度をとらないこと。

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