「会者定離」
昨日、株の授業の先生からその言葉をいただいた。広辞苑によると、これは仏教用語で、「この世は無常で、会うものは必ず離れると運命にある」。という意味だそうだ。平家物語の諸行無常に通じる世界である。
しかし、先生の言葉には続きがあった。
「会者定離の言葉通り、人生には出会いと別れは必ずある。けれど、思いがけず、またどこかで会うことが意外とある。だから、この年になって、世間は狭いということを感じる」。と先生はおっしゃったのだった。私はその世間の狭さをはっきり認識しているわけではないけれど、縁は異なものだとは感じている。
縁という言葉を出したら、上田学園に入ると決めた時の気持ちを思い出した。その時、候補のフリースクールは二つあった。それで、二ヶ所見学して決めようということになった。
最初に見学に来たのは上田学園だった。まだ年が明けたばかりのその日、上田学園ではこれからのリサーチ授業のテーマをどうするかの会議が行われていた。学生たちはそれぞれ面白いプレゼンをしていた。みんなでワイワイと討論する姿は、とても輝いて見えた。
それからいったん実家に戻り、もう一つの学校を見学した。そこの校長先生は一度実家に話をしに来てくれて、熱心に話もしてくれた。その人には私も家族も好感を持った。しかし、身に行った学校では、休みの時期であったとはいえ、私はあまり良い印象を持つことはできなかった。
見学が終わってからも、なかなか結論は出せなかった。どの学校に行くかは、明らかに重要な決断だった。その重さの前に、私は動くことができなかった。悩んだ結果、私は上田学園に入るという答えを出した。
一番大きかったのは学校の雰囲気だった。不登校やひきこもりなど、似たような問題を抱えていた学生たちが、授業で輝いていた。その姿こそが希望だったのだ。
私は株の先生の半分も生きていない。けれど、出会いがあれば必ず別れがあることは、現実として理解できる。上田学園に入ってからも、それを感じる出来事はたくさんあった。その順番は、遅かれ早かれ私にもやってくる。だから、今の私がこれからの人生で一番大切にしようと思うのは、”諸行無常を頭に入れつつ、日々精一杯楽しく生きていく”ことである。
上田学園での日々のおかげで、世界は確実に縮まった。それはとても大きなことだ。いつか私にも、世間の狭さを身に沁みる日が来るのだろうか。